K's Atelier

個人的な学習記録

「はてしない物語」

部屋にまったく余裕がない。ということで,最近は書籍の購入時に電子書籍を優先的に考慮するようになった。

個人的には,技術書は電子書籍で良い。情報の陳腐化が激しい上,検索できることが重要なので,本棚においておく価値があまりないからだ。複数書籍を同時に開いて調査することがある程度課題だったが,最近はタブレット,PC複数台構成などを工夫すればそれほどの困難は感じなくなった。

 

そんな状況で,「これだけは本を手にして読まないと意味がない」と感じる書籍が見つかった。「はてしない物語(ミヒャエル・エンデ)」だ。この話は多重のメタ構造になっていて,その起点が「読者の手にしている物理的な本」である。

読者が「はてしない物語」を手にしている実感が,主人公との感覚の共有につながっている。また,物理的な本としての「はてしない物語」が何冊あっても,話が破綻しないように工夫されている。この感覚は,データでしかない電子書籍で読んでも感じることができない。

 

こういった,物理とのリンクの仕方は,AIや仮想化の話とも通じる感じがする。

「AIによって仕事がなくなる」という話題が一部でさかんだ。「これまで以上に対人関係が重要になる」とかいう意見もあるようだ。

突き詰めていくと,AIがどんなに進化しても絶対になくならないのは「責任を取ること」だ。対人関係が大事なのも,「その人の発言である=発言責任がある」からだ。AIで生成された成果物が著作権上の問題になるのは,作者が責任を持って作成している作品と,それを複製した無責任な作品が混在してしまうところに問題がある。AIは(そしてAIを使った人は),元作品に対して責任をとらない。

 

先日,技術的な打ち合わせの中で「音楽だって最近はAIを使って自動生成されている。トレンドを分析して,トレンドに合う曲を生成しているんですよ」という発言をしている人がいた。私(と先輩のベーシスト)は,「それは音楽じゃない」と直感したのだが,その場では良い解釈が思いつかなかった。

音楽は,自分と聴衆,場に対して「存在している」ものだ。CD自体は音楽ではない。再生しているときに人間が感じているものが音楽だ。場をデータ空間に置き換えて処理したものは「データ処理」だろう。AIは音楽を構成する技術の一つにはなりえるが,それを「音楽だ」と言われると強烈な違和感を感じる。理由は「人の存在が限りなく無視されているからだ」と思う。

 

今まで以上に「責任」「存在」が重要になる。というと大変な感じだが・・・「君がいてくれることが幸せ」な方向に向かうのがいいですね。